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宇多田ヒカルのアメリカ

宇多田ヒカルのアメリカ

宇多田ヒカルちゃんを語るのに、アメリカという国はなくてはならない国です。

そもそもヒカルちゃんは純粋な日本人ではありません。父親も母親も日本人ですが生地主義のアメリカ合衆国で生まれたということで実は日本とアメリカの二重国籍を持っているんだそうです。

日本で「宇多田ヒカル」でデビューする以前は「Cubic U」という名でアメリカでシングルとアルバムも発売しちゃっているんです。もちろん英語詞です。

このCDが日本にも出回ってヒカルちゃんは「宇多田ヒカル」としてデビューする以前から密かに音楽愛好家達の中でジワジワ既に注目を浴び始めていたのです。

その後、日本でデビューを果たしてからもアメリカのコロンビア大学に進学したりとヒカルちゃんの人生からアメリカが離れることはありません。

そして2004年、遂にヒカルちゃんは「Utada」という名前でCubic Uの時とはスケールの違うデビューに挑んだのです。

しかしながらビルボードチャートで最高160位とやはり日本でのような神業的な記録とは残念ながらなりませんでした。

それでも日本の歌姫が世界に挑戦するなんてヒカルちゃんが登場する以前なら夢のまた夢のような話だったと思うんです。

ずっとアメリカで生活していたヒカルちゃんだから、ヒカルちゃんのCDを聴いたアメリカ人も「日本人なのにアメリカ人みたいに英語の発音が上手ね。」って英語で言ったそうです。

そのコメントをアメリカ人からもらうのにヒカルちゃん以外の日本の歌姫なら血の滲むような苦労をするのでしょうね。