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宇多田ヒカルの結婚と離婚

宇多田ヒカルの結婚と離婚

宇多田ヒカルちゃんは、2007.3.2に映画監督の紀里谷和明さんと離婚してしまいましたが、結婚した当時、ヒカルちゃんはまだ19歳だったんです。号外も出ましたよね。

日本中が驚いたのは今でもよく憶えています。

宇多田ヒカルちゃんは、ごくごく一般の19歳女の子に比べたならば、それはコロンビア大学に通えるぐらい頭も良いし(中退してしましますが。)、歌も上手だし、お金持ちですが、それでもやっぱり19歳だったんです。

そんなに若くしてそのまだまだ長く続く将来をずーっと共にするパートナーを断定するのはやはりいくらヒカルちゃんでも至難の技だったのでしょう。

お相手の映画監督である紀里谷和明さんは現在39歳。宇多田ヒカルちゃんよりも15歳も年上。

でも離婚の原因は年の差ではなかった様子で、ヒカルちゃんは、「(紀利谷さんは)孤独みたいな私の像を救おうとしてくれた。でも結局、私は救われようとしなかったのかな・・。」と離婚の原因を説明。

一方の紀利谷さんは、仕事と家庭の両立を上手にとれないでいるヒカルちゃんと上手に距離がとれなくなっちゃったそうです。

確かに紀里谷さんはヒカルちゃんにべっとりとくっついていたようです。

コンサートなんかでは紀里谷さんの映像が延々と流され、まるで紀里谷さんの映像ショーみたいだったとか。映像だけじゃなく、楽曲のプロモーションや、演出まで仕切っていたそう。

年は離れていたけど仕事上での距離は近すぎてしまったのでしょうか。。

ヒカルちゃんを救う為には、「離れた距離」っていうのも大事だったみたい。紀里谷さんも「彼女との仕事から身を引き、一人の夫になりたかった。」と月刊誌で語っています。

宇多田ヒカルのCDセールス

宇多田ヒカルのCDセールス

1998年に1stシングル「Automatic」をリリース。当時ラジオでも大量オンエアされて、一気に宇多田ヒカルちゃんは一大ムーブメントの主役となったのです。

その後、現在までにシングル18枚、アルバムがベスト版を含めて5枚リリース。国内アルバム売り上げ史上歴代1位の座を持ちます。

とにかくヒカルちゃんのCDはものすごく売れるのです。どれもオリコン1位、2位ばかり。

その中でも世の中にやっぱり宇多田ヒカルは日本一の歌姫だと知らしめた出来事がありました。それは正しく「宇多田ヒカルVS浜崎あゆみ」。

この二人のセールス対決はまず、桁が違います。ミリオンセラーなんてもう当たり前という次元です。

2001年の出来事で、ヒカルちゃんは2nd ALBUM、浜崎あゆみちゃんはbest ALBUMと発売日が重なってしまったのでした。

ヒカルちゃんはたったの一週間で300.3万枚を売り上げてしまいました。結果はもちろんヒカルちゃんの勝利。450万枚売り上げました。でも浜崎あゆみちゃんも400万枚を超えたのだそう。

本当にレベルが他の歌姫とは全然違います。

ヒカルちゃんのセールスの勢いは今でも衰える事を知りません。

最新シングル「Flaver Of Life」もこの音楽氷河期において、リリース初日出荷枚数が40万枚を超えました。ヒカルちゃんのCDを買いに行ったのに売り切れてた!なんていう人まで出てきちゃう程の売れっぷり。

もう、唯々感服しちゃいます。

宇多田ヒカルのテトリス

宇多田ヒカルのテトリス

テレビ音楽番組「HEY!HEY!HEY!」でダウンタウンの松ちゃんとテトリス対決をして一躍テトリス好きということが日本中に知れ渡った宇多田ヒカルちゃんですが、「テトリスはスポーツだ。」と語ったそう。

テトリスはテレビゲームだから体は動かさないのになぁって思ってしまったんですがきっと深いテトリス好きの魂込もった名言なのでしょう。

そんなヒカルちゃんにとっては夢の様なお仕事がやって来ました。

クラブニンテンドー会員から選ばれた30人とヒカルちゃんが「テトリスDS」で対決するというお仕事。ヒカルちゃんはメガネをかけて気合い十分です。

テトリスで対決をするっていう一見地味な企画ですが、宇多田ヒカルちゃんともなればそれだけで会場は大いに盛り上がるのです。テレビ局やカメラマン等のマスコミの方々も殺到しました。

コロンビア大学に通うヒカルちゃんの知能ではテトリスはどんな風に見えているんでしょうね。

ヒカルちゃんのテトリスはものすごく早いのだそうです。20秒間にテトリスを平均3回はしてしまう程の早さ。

って早すぎます。一般の知能では理解不能の早さです。もちろん結果は26勝4敗とヒカルちゃんの圧勝でした。

宇多田ヒカルのアメリカ

宇多田ヒカルのアメリカ

宇多田ヒカルちゃんを語るのに、アメリカという国はなくてはならない国です。

そもそもヒカルちゃんは純粋な日本人ではありません。父親も母親も日本人ですが生地主義のアメリカ合衆国で生まれたということで実は日本とアメリカの二重国籍を持っているんだそうです。

日本で「宇多田ヒカル」でデビューする以前は「Cubic U」という名でアメリカでシングルとアルバムも発売しちゃっているんです。もちろん英語詞です。

このCDが日本にも出回ってヒカルちゃんは「宇多田ヒカル」としてデビューする以前から密かに音楽愛好家達の中でジワジワ既に注目を浴び始めていたのです。

その後、日本でデビューを果たしてからもアメリカのコロンビア大学に進学したりとヒカルちゃんの人生からアメリカが離れることはありません。

そして2004年、遂にヒカルちゃんは「Utada」という名前でCubic Uの時とはスケールの違うデビューに挑んだのです。

しかしながらビルボードチャートで最高160位とやはり日本でのような神業的な記録とは残念ながらなりませんでした。

それでも日本の歌姫が世界に挑戦するなんてヒカルちゃんが登場する以前なら夢のまた夢のような話だったと思うんです。

ずっとアメリカで生活していたヒカルちゃんだから、ヒカルちゃんのCDを聴いたアメリカ人も「日本人なのにアメリカ人みたいに英語の発音が上手ね。」って英語で言ったそうです。

そのコメントをアメリカ人からもらうのにヒカルちゃん以外の日本の歌姫なら血の滲むような苦労をするのでしょうね。

宇多田ヒカルのCM・タイアップ

宇多田ヒカルのCM・タイアップ

人気俳優が出演しるドラマのテーマソングになったり、大作の映画に曲が使われたりして沢山の人に曲が知れ渡ってCDがヒットするっていうことってよくありますよね。

でも宇多田ヒカルちゃんの場合は、ヒカルちゃんの曲がドラマや映画やCMをより素晴らしい物にする効果を与えているようにも思えます。

実際、ヒカルちゃんの曲が使われるという事でCMやドラマ、映画が話題になったりもしています。

一番最初に「First Love」がドラマ「魔女の条件」の主題歌になります。

ヒカルちゃんのかすれるような息遣いが胸にジーンとくるような歌声のバラードはドラマを感動的に演出しました。

また「Can You Keep A Secret?」は木村拓哉さんが主演、またストーリーもかなりおもしろいものでしたが、ヒカルちゃんの曲が流れると、もうトドメの様にドラマがビシッっと締まるのです。

中でも、三島由紀夫作の「春の雪」の映画化に際し、一役かったヒカルちゃんの功績は素晴らしかったです。元々この作品は三島由紀夫の世界をどれだけ忠実に表現できるかという事が重要視されていました。

監督・行定勲監督の色彩美、妻夫木聡くんと竹内結子ちゃんという強力タッグで、もう既に恐い者なしな感じではありましたが、三島由紀夫の「金閣寺」の大ファンというヒカルちゃんはこの作品の為に曲を書き下ろし、「Be My Last」とう曲を完成させました。

そして、その映画を観た人達を音という観点から三島由紀夫の世界へと入り込ませていったのです。

ヒカルちゃんの楽曲は様々な物にさらに力を与える光みたいな物があるんじゃないのかと思います。